タトゥーの歴史

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タトゥーの歴史は長く、その時代は記録が残っている物では縄文時代約1万6,500年前に遡ります。

その頃の物であろう埴輪には刺青の装飾がされ、中国の歴史書で日本について書かれた「魏志倭人伝」の中には邪馬台国の人々は皆全身に刺青を入れていたことが記されています。

この頃の刺青は成人であることを表したり、呪い、位を表す意味を持っていました

しかし、ヤマト政権以降の記述には刺青の記述は無く廃れていったか、邪馬台国独自の風習だったようです

 

平安時代

時が経ち平安時代。平安時代の暮らしがわかる絵巻物の貴族には刺青をしているものはありません。

この頃は律令法と言って法律が定められ、刺青は刑罰として使用されていたためです。

この後、江戸時代まで政権や時代が変わっても刺青は禁止、刑罰として定められていました。

 

江戸時代

そして江戸時代。ここから和彫に繋がる絵として刺青が発展していった時代です

まだこの頃も刑罰として刺青を入れる文化は残る一方、

江戸時代庶民の間で読まれていた中国の長編小説「水滸伝」に刺青を入れた人物が登場します。日本語に翻訳された本の挿絵は葛飾北斎が担当し背中や腕を大きく使い鮮やかな刺青に庶民たちは魅了され、歌舞伎役者、鳶、火消、駕籠といった肌が見える職業を中心に現代にも繋がる和彫を入れ始めました。

当時のタトゥー

この頃はまだ彫り師という職業は無く、絵師が描いた絵を版画職人が彫るという流れでした

刺青のインクには墨に水銀を混ぜたものが使われていて

水銀は発色を良くする為に使用され化粧にも使われており水銀中毒になる方も多かったようです。さらには使い捨ての針もありませんから、血液で感染する病気(肝炎)のリスクもありました

 

タトゥー禁止の時代

鎖国の時代から一変外国との貿易が始まるようになり、野蛮な民族と思われないと言う理由で刺青禁止の法が定められます。

しかし外国では日本の刺青が流行っており、はるばるヨーロッパ王室から来る者もいました

とはいえ刺青禁止の時代。西洋の文化が入って来るとともに肌を露出する服装が減り刺青を入れる者は少なくなりました

 

第二次世界大戦後

戦後の法改正により刺青を禁止する定めが無くなり各地に米軍基地が置かれたことでお客も増え刺青の文化が復活します。

海外への渡航も可能になった為海外の刺青の文化も入り、手彫りからマシーンへと変わっていき近代化していきました。

60年代になると厳つい刺青を入れたヤクザが登場する「ヤクザ映画」が次々と上映されます。

この時期はまだテレビの所持率も低く映画が娯楽の時代です。そして映画館のある都市部には出稼ぎ等の人々が多くいたこともあり、ダークヒーロー的な存在のヤクザ映画が流行りました。

しかしこの影響がヤクザ=刺青というイメージをつけてしまうことになります。

その後暴力団の抗争事件で一般人が巻き込まれる等、事件が相次いだため暴力団に対する法律「暴力団対策法」が定められました。このことによりヤクザ=刺青=悪という固定概念ができ未だに残っています。

 

現代の刺青

テレビやネットの普及により海外のタトゥーの文化を目にする機会が増え、アーティストやスポーツ選手等といったヤクザではないタトゥーの文化が入ってきます。

今では消せるペンやシール等のおしゃれとして使われたり、芸能人でも隠すことなくタトゥーを公表している方もいます

少しずつではありますが、タトゥー禁止を解く銭湯も増え昔のイメージも薄れてきています。

 

最後に

周りの偏見や弊害も少なく、タトゥーショップも多く存在し今、明日入れようと思えば入れられてしまうでしょう。しかし、一生残るものというのは変わりません

しっかり考え、後悔のないタトゥーを入れて欲しいと思います。